私たち三つ子が生まれた日

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「三人合わせて、約4.7キロ」

これは、私たち三つ子の合計体重です。

そう、お米一袋(5キロ)とほぼ同じ(笑)

ちょっと軽めの新米、みたいな感覚でしょうか。

ドッキリか?三つ子サプライズ

一番目に生まれたのは春ちゃん(1,950g)。

次に私、夏ちゃん(1,230g)。

最後に秋ちゃん(1,520g)。

3分おきに、よいしょ、よいしょ、と出てきました。

おそらく母はそのたびにパラメーターがガリガリ削られていたことでしょう。

もはやRPGのボス戦。

ちなみに、当時のお医者さんはずっとこう言ってたそうです。

「うん、双子ですね〜」

…ん?

いやいやいや、実際は三人だったんですけど?

なんと、三つ子だと判明したのは出産のわずか二日前

ずっと二人が重なりあっていたせいで、三人目が見えなかったとか。

隠れんぼか?

現代の医療ならまず起こらないミラクル。

でも数十年前の田舎町では、そんな奇跡が普通に起きていたんですね。

そんな母のお腹には、5キロ近い「お米(=私たち)」がぎゅうぎゅう詰め。

妊娠後期には、もう仰向けにもなれず、横にもなれず、

布団を丸めて背もたれにして、座ったまま眠っていたそうです。

まさに寝るにも寝られず状態。

もはや「母」ではなく、「戦士」。

病院に行くにも車必須。

ところがある日、体が重すぎて階段すら登れなくなり…

なんと父が、母を背負って病院の階段を登ったんですよ。

エレベーター?

なかったんでしょうね。

ていうか、父の体力よ…!

現代なら、多胎児出産はたいてい帝王切開。

でも当時はまさかの自然分娩

つまり、母は一度の出産で

3回分の陣痛を体験したということです。

3倍の痛み。3倍の体力消耗。3倍の「うわああああ!」です。

まさに命懸けの出産!

しかも、出産途中で母は意識を失い、

助産師さんの「がんばって!」という声が、最後の記憶になったそうです。

この時点で、もう…涙ぐみますよね。

医師からの宣告「この子たち、助からないかもしれません」

私は、二番目、つまり「the middle child」として生まれました。

でも、私と三番目の秋ちゃんはすぐに保育器へ。

そして母も、命の危機。

お医者さんは父にこう言ったそうです。

「お母さんと、この子たち二人は助からないかもしれません」

…うん。

もう、この一文だけで、涙が溢れますよね。

それでも、生きている。

それでも、私たちは命をつなぎました。

奇跡のように。奇跡そのもので。

こうして、今ここに「元気すぎる三つ子」がいます(笑)

ケンカもするし、いっぱい笑うし、母に怒られるし。

でも、あの瞬間、

「当たり前じゃない命」だったんだって、今ではちゃんとわかります。

母があの時、どれほどの痛みと苦しさを乗り越えてくれたのか。

父がどれだけ必死に支えてくれたのか。

私たちが今こうして笑っていられるのは、たくさんの犠牲と、たくさんの「愛」の上にあるんだなぁと。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

なんてことのない毎日。

でも、その「なんてことのない」が続いているのは、生まれた日から、たくさんの人に支えられてきたから。

大げさに聞こえるかもしれないけれど、

今でも私は、「生きてるって奇跡だな」と感じています。

今日も生きている。

生きてるだけで、丸儲け。